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大阪高等裁判所 昭和52年(ネ)774号 判決

控訴人

桶谷勝利

右訴訟代理人

猪野愈

三宅邦明

被控訴人

株式会社京都銀行

右代表者

栗林四郎

右訴訟代理人

松枝述良

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

〈前略〉

二 控訴人の主張

1  銀行は、定期預金の期限前解約、払戻に際し、預金者ないしその家族と当該銀行行員が面識がある場合を除き、原則として、預金者と払戻請求者の同一性確認のため、預金証書、届出印鑑の所持の確認、印鑑照合、事故届の有無の調査、払戻請求者の挙動の観察、中途解約事由ないし使途の聴取のほかに、(イ)筆跡照合、(ロ)運転免許証、身分証明書、印鑑証明書、健康保険証等の呈示要求、(ハ)電話照会、(ニ)直接訪問のいずれかの調査、確認をしなければ払戻に応じてはならない注意義務を負担しているものというべきである。この程度の調査は極めて容易で、多くの時間を要するものではなく、銀行事務の大量処理性ないし円滑性を害するものではない。

2  仮に払戻請求者に不審な事由がない限り、銀行は前記1(イ)ないし(ニ)の調査義務を負わないとしても、本件においては、さらに次のような事由があつたから、被控訴銀行には右(イ)ないし(ニ)の調査義務があつたことは明らかである。

(一)  本件払戻金額は一、〇〇〇、〇〇〇円で、一般預金者にとつては、相当多額である。かかる高額にのぼる金額の払戻に際しては、銀行は期限前解約に際し高度の注意義務を負うというべきである。

(二)  年末資金としては一、〇〇〇、〇〇〇円という金額は多額にすぎ、使途からみて中途解約理由は不自然である。

(三)  払戻請求書の印鑑と届出印鑑を照合するに際し、照合者は、極めて容易に払戻請求書と印鑑票の筆跡の相違に気づき得た筈である。筆跡照合の義務まで存しないとしても、一見しての筆跡相違の明日性は預金者と払戻請求者の同一性調査を要する不審事由である。このような場合には少くとも筆跡相違理由の聴取を必要とする。

(四)  本件払戻請求書にはわざわざ二回の印影の顕出があり、それらはいずれも控訴人の印影として明白性があるから、不自然である。

(五)  払戻請求書の住所には、実在しない「横繩町」なる記載がある。まして、当時の被控訴銀行稲荷支店の行員は、「うづら荘」が同支店から五分位の距離にあり、かつ「下横繩町」に存することを熟知していたのであるから、右実在しない町名の記載については不審を感じてしかるべきである。

(六)  被控訴銀行稲荷支店の担当者は、行内の混雑、多忙のため、払戻請求者の挙動を観察していなかつた。

3  仮に本件払戻に際して被控訴人に過失がなかつたとしても、債権の準占有者に対する弁済に該当するのは、現実に支払われた一、〇〇〇、〇〇〇円に限られ、残額は定期預金として残存している。すなわち、民法四七八条にいわゆる「弁済」は、右規定が善意者保護制度であることから、保護に値するべき弁済でなければならず、財貨の支配の移転を生じるような弁済であることが必要である。本件定期預金の中途解約ならびに未払残元本の新規定期預金契約という一連の事実を法的に構成すると、本件定期預金契約の中途解約による残金払戻請求権をもつてあらたな普通定期預金契約をなしたものとみるのが相当である。しかして、本件定期預金の中途解約ならびに中途解約により現実化した本件払戻請求権をもつて準消費寄託の目的とする権限を本件払戻請求者が有しなかつたことは明らかであるから、残金についてのあらたな定期預金契約は無効である。そうとすれば、本件定期預金の未払残元本は、控訴人名義のあらたな定期預金という形をとつているとしても、依然として、本件定期預金の残元本として被控訴銀行に留保されているといわざるを得ない。ところで、本件定期預金契約においては、控訴人、被控訴人間に、期限前解約の場合には日本銀行ガイドラインによつて定められた中途解約利率によつて利息が支払われることが合意されており、右利率は預入期間が六か月以上一年未満の場合(本件の場合はこれに当る。)年5.25パーセントであることは被控訴人の主張するとおりであるが、本件においては、中途解約は無効であるから、利息について右中途解約利率の適用はない。被控訴人が昭和四九年一二月一七日本件払戻請求者に支払つたのは元利合計一、〇〇〇、〇〇〇円(元本九二〇、三九五円と同年四月八日から同年一二月一七日までの年7.25パーセントの割合による利息七九、六〇五円)であるから、残元本六五七、四五四円が定期預金の元本として残されている。

4  仮に右残金についても払戻があつたとしても、それは極めて観念的ないし一時的なものにすぎず、本件払戻請求者は、即時控訴人名義で新規の定期預金として預け入れており、また、前記のように新規定期預金契約は無効であつて、被控訴銀行は、何らの権限なくして、本件定期預金残金を内部に留保している。また、本件定期預金契約の中途解約、払戻、新規定期預金としての預け入れという一連の行為を全体としてみると、本件定期預金については、払戻請求者に終局的に移転したものとみることはできない。かかる事情がある以上、被控訴人は、本件定期預金残金に関しては、信義則上、民法四七八条の免責の効果を援用できないというべきである。

5  被控訴人は、本件定期預金の弁済期前に、控訴人氏名詐称者の中途解約の申出に応じ、かつ内金一、〇〇〇、〇〇〇円を同人に支払い、残金をあらたな定期預金に組み入れ、右手続が有効であることを控訴人に明示していた。右事実よりすれば、弁済期における本件定期預金の払戻は期待し得ず、右事実は弁済期前の履行拒絶にあたるから、被控訴人の本件定期預金払戻債務は、あえて控訴人からの取立を要することなく、弁済期の徒過により遅滞に陥るというべきである。したがつて、被控訴人は、控訴人に対し、弁済期の翌日から本件定期預金契約における約定利息相当の遅延損害金を支払う義務がある。

6  被控訴人主張の免責約款は、定期預金の中途解約の場合には適用がない。仮に適用があるとしても、かかる免責約款は、結局民法四七八条と同趣旨に帰することになるから、被控訴人に過失がある以上右約款によつて免責されることはない。

三 被控訴人の主張

1  銀行は、控訴人主張の前記二1(イ)ないし(ニ)の事項については、中途解約、払戻請求について何らかの不審の点がある場合にだけ、その調査を履践すれば足りると考えられ、現に多くの銀行もそのような取扱いによつている。なんとなれば、預金支払事務を担当する窓口係員は、ほとんどの預金者と面識がないのが実情であるから、大方の場合にこれらの調査確認を行わなければならないことになるが、これを履践するには相当の手数や熟練を要することになるだけでなく、顧客の感情を害することにもなり、かつ、そのうちの一つを実行しても必らずしも本人確認の実をあげるとは限らず、常にこれらの調査義務を負わせることは酷であるからである。通帳と印鑑が無権利者の手にあるということは例外中の例外であり、通常これらの所持人が真の権利者であると思うのが普通である。通帳と印鑑を所持している場合の本人確認は、盗難届の有無、解約事由等の聴取のほか、本人の住所、氏名を書かせるとともに、本人の挙動を注視することによつて足りる。被控訴人は、右確認方法を履践してきたもので、過失はない。むしろ、本件においては、通帳と印鑑を同一場所に保管していたこと、盗難の発見、報告が遅れたことなど控訴人の方に過失がある。

2  本件定期預金証書には、「払戻請求書または諸届け書類に使用された印影をお届出の印鑑と相当の注意をもつて照合し、相違ないものと認めて取扱いましたうえは、それらの書類につき盗用、偽造、変造その他の事故があつても、そのために生じた損害については当行は責任を負いません」との免責条項の記載があり、本件定期預金契約は、控訴人、被控訴人間で右免責約款を排除する特段の意思なくして締結されたものである。本件払戻請求者は、右解約、払戻につき右証書と印鑑を使用して手続をしたのであるから、被控訴人は、右約款により免責される。

3  本件定期預金契約においては、期限前解約の場合には、日本銀行ガイドラインによつて定められた中途解約利率によつて利息が支払われることが当事者間に合意されていたもので、右利率は、預入期間が六か月以上一年未満の場合(本件の場合はこれに当る。)年5.25パーセントであつた。被控訴人は、本件払戻請求者に対して一、六三五、二六五円を支払つたが、その内訳は、元本一、五七七、八四九円とこれに対する昭和四九年四月八日から同年一二月一六日まで年5.25パーセントの割合による利息五七、四一六円である。払戻請求者は、本件定期預金の元利金全額の払戻請求をなし、被控訴人は、本件定期預金の解約手続(一個の定期預金について一部解約の制度はない。)をして元利金全額を払戻して請求者に一、〇〇〇、〇〇〇円を現実に交付すると同時に、残額六三五、二六五円につき控訴人のためあらたな普通定期預金契約をしてその預入を受けたのである。右六三五、二六五円については現金の授受はなかつたが、それは、預金払戻とあらたな定期預金契約が引続いて行われたため、無意味な二回にわたる金銭の授受を省略した結果にすぎないのであつて、右金員について払戻がなかつたと目すべきではない。

4  控訴人は、新預金契約(新預金契約は払戻請求者の無権代理行為とすればこれを追認して)に基づく払戻請求をするか、または、被控訴人が事実上保管する保管金(解約、払戻されたが預金者が持ち帰らず銀行に保管されている。)についての返還請求権の行使により、右残額の支払を受けうるものであるから、被控訴人の本件定期預金元利金全額についての民法四七八条による免責の効果の援用が信義則違反となるものではない。

四 証拠〈省略〉

理由

一被控訴人が、銀行取引を営むことを業とする株式会社であり、京都市伏見区深草稲荷中之町四一番地に稲荷支店を設置していること、控訴人が、昭和四九年四月八日、被控訴銀行稲荷支店に一、五七七、八四九円を一年満期、利率年7.25パーセントの定期預金として預け入れたことは、当事者間に争いがない。

二被控訴人は、本件定期預金債権は、債権の準占有者に対する弁済によつて消滅した旨主張するので、以下この点について判断する。

控訴人の届出印章と本件定期預金の通帳(証書番号一九八三九七号)を所持する者が、昭和四九年一二月一七日午後一時すぎごろ、被控訴銀行稲荷支店において、同支店の係員に対し、右印章と通帳を提示して本件定期預金の中途解約および払戻手続をなし、その結果、同支店の係員より元利金一、六三五、二六五円のうち一、〇〇〇、〇〇〇円の支払を受け、残金六三五、二六五円を控訴人名義で同支店の普通定期預金としたことは当事者間に争いがない。

〈証拠〉によれば、被控訴銀行稲荷支店の係員は、前記のとおり、本件定期預金の中途解約および払戻の請求を受け、右払戻請求者から本件定期預金通帳の提示を受けるとともに、同請求者が係員の面前で住所、氏名を書き入れ、所持の印章を押捺して作成した普通定期預金戻請求書の提出を受けたうえ、同払戻請求者に押捺された印影を控訴人が本件定期預金をする際に届出印として同支店所定の普通定期預金印鑑票に押捺した印影と照合したところ、同一の印章によるものであることが認められ、他に右払戻請求者の払戻請求に格別不審なところも感じられなかつたので、右払戻請求者を預金者たる控訴人本人と認めてその中途解約、払戻の請求に応じることとし、元利金一、六三五、二六五円全額の払戻手続をなしたこと、右払戻請求者は、右のうち六三五、二六五円をあらためて控訴人名義で被控訴銀行稲荷支店の普通定期預金とし、残額一、〇〇〇、〇〇〇円を現金で交付を受けて持ち帰つたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

以上の事実によれば、被控訴銀行稲荷支店の係員は、本件定期預金通帳および届出印章の所持者を本件定期預金の権利者たる控訴人本人と信じて、その中途解約、払戻に応じたものであるから、右係員に右所持者を控訴人と信じたことについて過失がなかつたと認められるときは、その払戻は、債権の準占有者に対する弁済(但し、弁済の効力が認められる金額については後記四のとおりである。)として有効であるというべきである。

三そこで、本件定期預金の中途解約、払戻についての被控訴銀行稲荷支店係員の過失の有無につき判断する。

1  〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  昭和四九年一二月一七日午後〇時五〇分ごろ、二六才位の男性が被控訴銀行稲荷支店を訪れ、同支店窓口係の山下澄子に対し、定期預金を中途解約したいと言つてきたので、山下は、中途解約はできないことになつているといつて一応これを断つた。しかし、右の男性がどうしても金が要るから引き出してほしいというので山下は、定期預金証書の提示を求めたところ、右の男性は、今は持つていないが、定期預金の引出に必要な用紙をもらいたい旨申出た。山下は、これをも断つたところ、右の男性は間もなく退店した。

(二)  同日午後一時すぎごろ、右の男性は、本件定期預金の預金通帳と印鑑を所持して再び同支店を訪れ、右窓口係の山下に対し、「年末の支払のためどうしても一、〇〇〇、〇〇〇円だけ必要なので出してほしい。残りはまた定期にするから。」と言つて本件定期預金の中途解約、払戻を強く要求した、そこで、山下は、定期預金の中途解約の許否につき決裁権限を有していた同支店の支店長代理塩見章二に対し、決裁を求めたところ、塩見は、先刻来の二人の応対を近くで聞いていて、右中途解約もやむを得ない事由があると判断し、山下に右男性の申出に応ずるよう指示した。

(三)  山下は、右男性に対し、申出に応じる旨を告げて預金通帳を預るとともに、備付の普通定期預金払戻請求書用紙に住所、氏名の記入と捺印を求めたところ、右男性は、山下の面前で、右用紙の該当個所に住所として「伏見区深草横繩町二二の一うずら荘」と、氏名として「桶谷勝利」と記入し、所持の印章を押捺し、金額一、五七七、八四九円の本件定期預金の元利金の支払を請求する旨の普通定期預金払戻請求書を作成してこれを山下に提出した。

(四)  山下は、右定期預金通帳と払戻請求書を同支店定期預金係の荒木知恵子に手渡し、本件定期預金の中途解約、払戻の手続をとるよう求めた。荒木は、本件定期預金の預金者の届出印として同支店に保管されている普通定期預金印鑑票に記入されている預金者の住所氏名「京都市伏見区下横繩町二二の一桶谷勝利」の記載およびこれに押捺されている印影と右払戻請求書記載の住所氏名およびこれに押捺された印影とを対照し、住所氏名が同一で印影も同一の印章によるものと判断し、本件定期預金について事故届のないことをも確認のうえ、利息計算を行い、そのあと支店長代理の細川が再度右印鑑票と払戻請求書の各印影を照合して払戻請求者が預金者たる控訴人本人に間違いがないと判断し、払戻を承認して検印をした結果、本件定期預金元利金の払戻手続が行なわれた。

(五)  山下は、同日午後二時すぎころ、右男性に対し、本件定期預金元利金一、六三五、二六五円のうち一、〇〇〇、〇〇〇円を現金で交付した。山下は、窓口での右男性との面談の前後を通じて、右男性の挙動、態度に格別不審の念を抱くことはなかつた。

(六)  控訴人は、昭和四九年一二月一七日午後七時ごろ、自宅に保管していた本件定期預金の通帳と届出印鑑とが盗難にあつたことに気づき、翌一二月一八日午前九時ごろ、被控訴銀行稲荷支店に事故の届出をしたが、すでに右のとおり前日に払戻手続がなされたあとであつた。

以上のとおり認められ、右認定を左右できる証拠はない。

2  控訴人は、定期預金の中途解約、払戻に際して銀行に課せられる注意義務は普通預金の払戻の場合に比して加重されるもので、銀行は、預金者ないしその家族と当該銀行行員が面識がある場合を除き、原則として、預金者と払戻請求者の同一性確認のため、(イ)筆跡照合、(ロ)運転免許証、身分証明証、印鑑証明書、健康保険証等の呈示要求、(ハ)電話照会、(ニ)直接訪問のいずれかの調査、確認をするべき注意義務を負担している旨を主張する。

銀行は、定期預金の性質上、その中途解約、払戻の申出に必ず応じなければならないわけではないし、また、もし、これに応ずる場合には、その責任において期限前払戻請求をするやむをえない事情の聴取のほか、預金者の同一性(ことに証書、印鑑の盗取者については期限前払戻を請求することが多いと思われることにかんがみ)について十分調査確認すべきものといわなければならないから、定期預金の中途解約、払戻請求があつた場合においては、預金者と払戻請求者との同一性の確認につき定期預金の満期における払戻請求や普通預金の払戻請求の場合に比して、より加重された注意義務を負うものというべきである。

ところで、〈証拠〉を総合すると、被控訴銀行は、定期預金通帳の裏面に定期預金規定と題して期限前の払戻はしない旨の文言を記載し、定期預金の中途解約、払戻には応じない建前をとつてはいたものの、預金者から中途解約の請求があつた場合には、払戻を必要とする事由を聴取し、その理由が納得できるときには必らず右要求に応じているのが実情であり、むしろ定期預金契約の勧誘に際して必要があればいつでも中途解約に応じる旨を説明していたこと、被控訴銀行では、定期預金の中途解約、払戻に際しては、定期預金の満期払戻や普通預金の払戻の場合に比して、預金者と払戻請求者の同一性確認のため、より慎重な手続をとることとし、通常の場合に行われる預金証書と届出印鑑の所持の確認、事故届の有無の確認のほかに、中途解約理由の聴取、払戻請求者に記入させた預金者の住所と銀行保管の届出印鑑票記載の住所との同一性の確認の手続を履践し、かつ、中途解約、払戻の許否を窓口ないし定期預金係員だけに任せず右手続に基づく担当役席者の総合判断にかからせていること、被控訴銀行では、預金者と払戻請求者との同一性確認のため、右以上の調査は当該払戻請求に関して右の同一性に疑念を抱かせるような特段の不審事由がある場合に限つてこれを行うこととしていたものであり、定期預金の中途解約、払戻に際しての右同一性確認の手段、方法については、他の多くの都市銀行もおおむね右と同様の取扱によつている実情にあることが認められ、右認定に反する証拠はない。

以上認定の銀行における定期預金中途解約、払戻の実情にかんがみると、銀行が定期預金の中途解約、払戻請求に際し、預金者と払戻請求者の同一性確認のために行うべき手続は、前記のとおり、より加重された注意義務を負うとはいうものの、当該払戻請求に関し、右同一性に疑念を抱かせる特段の不審事由が存しない限り、原則として、被控訴銀行その他多くの都市銀行が履践している預金証書と届出印鑑の所持の確認、事故届の有無の確認、中途解約理由の聴取、払戻請求書と届出印鑑票各記載の住所氏名および各押捺された印影の同一性を調査確認することをもつて足り、控訴人主張の前記(イ)ないし(ニ)のような調査まで履践するには及ばないものと解するのが相当である。なんとなれば、銀行においては、窓口係員が預金者又はその家族と面識を有することはむしろまれであると思われるので、前記控訴人の主張にしたがうとすれば、定期預金の中途解約、払戻に際しては原則としてほとんど常に右(イ)ないし(ニ)の調査、確認を行うべきことになるが、これらの調査、確認手続はそれ自体相当の熟練と手数を要するものであり、場合によつては銀行の顧客たる払戻請求者の感情を害するおそれさえあるものと思われるし、しかもこれら調査、確認事項の一つを履践することだけでは必ずしもその目的を達しうるものとは考えられず、これらを適宜併用することにより、はじめて確実にその目的を達しうるものというべきであり、かくては銀行の払戻事務に相当の負担となることが予想されるばかりでなく、預金証書と届出印鑑とが無権利者の手にあり、しかも事故届も出ておらず、払戻請求者に格別不審事由もないという極めて稀な事態のもとにおける真の預金者を保護しようとするの余り、他の大多数の払戻請求者に著しい時間と手数を要求して不測の迷惑をかけるほか、ひいては事務の渋滞により銀行取引における簡便、円滑かつ迅速な事務処理による一般顧客の利益をも害する結果となつて相当ではないからである。

以上の見地に立つて前記1の事実を考えれば、被控訴銀行稲荷支店の担当係員が本件定期預金の中途解約、払戻に際し、預金者と払戻請求者の同一性確認につき前認定のような調査確認の手続を履践した以上、これをもつて、このような場合における前説示のような調査、確認の注意義務をつくしたものということができる。

3  控訴人は、本件定期預金の中途解約、払戻請求に関しては、右同一性確認のため、右のほかさらにその主張のような調査、確認の手段を講ずべき特段の不審事由が種々存した旨主張するので、順次その当否について検討する。

(一)  控訴人は、本件事故前四年間の被控訴銀行稲荷支店との取引に際しては控訴人自らが出頭して手続を行い、かつ定期預金の中途解約をしたことは一度もなかつたと主張する。

〈証拠〉によると、控訴人は、昭和四五年七月一三日から被控訴銀行稲荷支店と預金取引をしていたものであるが、昭和四九年一二月一七日に本件定期預金払戻手続に関与した同支店の係員山下澄子、荒木知恵子、塩見章二らは、いずれも控訴人と面識がなく、当時同支店には控訴人を知る者はいなかつたことが認められる。右事実からすれば、同支店の係員は、もともと控訴人の顔を知らなかつたのであるから、従前の控訴人の行為と本件払戻請求者の行為との関連を念頭におくにもおきようがないのであつて(係員がこの関係に注意を払うべきだとするのは無理な要求である。)、たとえ控訴人が従来自ら預金手続に当り、かつ定期預金の中途解約をしたことがなかつたとしても、右の控訴人の過去の行為を基準として、本件払戻請求者の請求自体に不審の念を抱くべき事由があつたとすることはできない。

(二)  前記1で認定した事実によれば、本件払戻請求者は、二度にわたつて、被控訴銀行稲荷支店を訪れており、最初のときには定期預金の払戻を求めながら、預金通帳も印鑑も所持していなかつたものである。しかし、被控訴銀行発行の定期預金通帳の裏面には期限前払戻はしない旨の文言が記載されていることは前記2のとおりであるから、定期預金の中途解約、払戻を求めようとする一般預金者が銀行の担当者に対し、正規の払戻手続を行う前に予めその照会をすることはありうることであるうえ、原審における控訴本人尋問の結果によると、控訴人の住所地から同支店までは徒歩三分位の距離にあることが認められ、しかも前記1の事実によると、同支店の窓口係山下澄子は、払戻請求者に対して一応はその申出を拒否しながら、定期預金通帳の提示をも求めたのであるから、払戻請求者が一旦係員に中途解約、払戻について照会したうえ、事と次第によつては払戻を受けられると判断して近くの自宅に戻つて通帳と印鑑とを持参し、再度来店することは何ら不自然なことではないと考えられる。したがつて払戻請求者の右行為をもつて不審事由があるとすることはできない。

(三)  前記1の事実によると、本件払戻請求者は、中途解約、払戻を求める理由として年末の支払に一、〇〇〇、〇〇〇円が必要であると述べたものである。しかし、右金額が年末の支払という解約理由からみて不自然なほど高額であるとは思われないし、それに右1の事実によれば、払戻請求者は、その際必要とする一、〇〇〇、〇〇〇円以外は再度定期預金にする旨をもつけ加えて申し出たのであり、日時も年末に近い一二月一七日であつたのであるから、被控訴銀行稲荷支店の係員が右払戻金を必要とした解約理由に疑念をさしはさまなかつたことは無理からぬことであつて、右の解約理由による払戻請求について特に不審を感ずべき事由があつたとすることはできない。また、同支店係員としては、中途解約理由が一応納得しうるものである以上は、それ以上に預金者の資金の必要性の個人的な事情にまで立ち入つて説明を要求することが、中途解約の事実上の拒否にもなりかねず、かえつて妥当を欠くと考えられることからして、右の程度の説明によつて中途解約に応ずることはやむをえないところであつて、何ら非難されるべきことではないといわなければならない。

(四)  控訴人は、被控訴銀行稲荷支店の係員としては、払戻請求者について、普通預金の有無の確認をし、普通預金があればまずそこからの引出しを勧誘すべきであつた旨主張する。

〈証拠〉を総合すると、被控訴銀行稲荷支店においては、定期預金と普通預金とは取扱担当者を異にするほか、印鑑票、元帳など必要書類もそれぞれ別個に保管され、各その取扱につき相互に特別の連絡もないので、定期預金関係の担当者は、当該預金者が別途普通預金を有するか否かはわからず、定期預金の中途解約、払戻に際しても通常特に預金者に普通預金があるかどうかまでを調査していないことが認められ、また、被控訴銀行は、定期預金の中途解約理由が納得できるものであれば、必らずその要求に応じているのが実情であることは前記2のとおりである。右事実によると、同支店の係員が本件払戻請求者について普通預金の有無、金額を調査しなかつたのは、同支店における従来からの事務取扱の慣行に従つたにすぎず、かつ、右取扱慣行は、定期預金の中途解約、払戻を預金者の利益のためになるべく認めようとする銀行取引の実情に照らして妥当なものと考えられるから、控訴人の普通預金の有無は、本件払戻請求についての不審事由とはならず、これを調査しなかつたことが非難される筋合のものでもない(もつとも、銀行としては、控訴人主張のように定期預金の中途解約より普通預金の払戻を勧誘することがあるいは預金者に対しては好ましいことかも知れないが、それはあくまで銀行の好意に基づいてすることであつて、これを強制できる筋合のものではなく、かかる勧誘をしなかつたからといつて、本件払戻請求者に不審事由のあることを発見できなかつたとか、この点銀行に落度があつたなどといえないことはいうまでもない。)。

(五)  〈証拠〉によれば、本件払戻請求書には控訴人の届出印鑑が二個押捺されていることが認められるが、同号証によると、右印影のうち一つはと印刷された押印場所上にあり、他の一つはその左横にあつて、払戻請求者が押捺場所を誤つたと判断して二度にわたり押印をし直したものとも考えられ、印影が二個あるということ自体が預金者と払戻請求者の同一性について疑いを生ずべき事由となるとは認められない。

(六)  定期預金の中途解約、払戻請求に際して、印鑑票と払戻請求書にそれぞれ記載された住所氏名の筆跡を照合することは、当該払戻請求に関し、預金者と払戻請求者の同一性を抱かせる不審事由がある場合のほかは、被控訴銀行としてこれを行う必要がないというべきことは前記2で判示したとおりであるが、控訴人は、右住所氏名の筆跡の相違の明白性がこの不審事由に当る旨を主張する。

〈証拠〉によれば、被控訴銀行稲荷支店においては、定期預金契約に際して原則として預入手続を行つた者に対して印鑑票に預金者の住所氏名を記入させているが、場合によつては、その依頼によつて同支店の係員がこれを代筆することもあるうえ、預入手続を行つた者や払戻請求者それ自身が常に預金者本人とも限らず、また、その双方が同一人であるとも限らないが、右実際の手続を行う者と預金者本人との異同について一々調査、確認をしていないし、印鑑票に住所氏名が代筆されたときでもその旨を付記する取扱いはしていない(右の調査、確認をすることは、大量の取引を円滑、迅速に処理すべき銀行業務の性質上到底その煩に耐えないものと思われる。)ことが認められる。右の事実によれば、被控訴銀行が右払戻請求書等に住所氏名を自書させるのは、単に住所氏名の記載の正確性を確認することによつて預金者と払戻請求者の同一性(住所氏名を正確に表示できれば、一応本人又は本人の代理人、使者であると推測される。)を確認する一資料に供しようとする目的に出たものであつて、もともと右両者の筆跡の異同を照合することによつて右同一性確認の資料とすることを予定したものではなく、したがつて、右両者の筆跡の相違は、右銀行の事務取扱上むしろ通常生ずべき事柄であつて、預金者と払戻請求者の同一性につき特に疑いを生ずべき不審事由には当らないというべきである。

(七)  前記1の事実によれば、本件定期預金の印鑑票には、預金者たる控訴人の住所として「京都市伏見区下横繩町二二の一」と、本件払戻請求書には、払戻請求者の住所として「伏見区深草横繩町二二の一うずら荘内」とそれぞれ記載されており、両者を比較すると、後者には「深草」と「うずら荘内」の各記載が付加されている反面、前者では「下横繩町」とあるのが後者では「横繩町」となつていて、「下」の一字が脱落しているのである。

〈証拠〉を総合すると、控訴人の住所地は、正確には「京都市伏見区深草下横繩町二二の一」であり、同所所在のアパート「うずら荘」内に居住していたものであり、「横繩町」という町名は存在しないこと、ところが控訴人は、被控訴銀行荷支店に対して預金取引上提出する書類上の住所表示では「深草」の二字を脱落させることが往往あつたが、また「深草」を加えて正確に表示することもあつたこと、同支店定期預金係として右印鑑票と払戻請求書記載の住所表示や印影の照合に当つた荒木知恵子は、右うずら荘が同支店から徒歩三分位の近距離にあつて、同アパート居住者に同支店との預金取引をする者も多かつた関係上、右うずら荘の所在地が前記地番にあることや右アパート居住者(約一〇〇世帯)は転出入が激しく、転入後間もない者などに住所表示の正確を欠く者が多いことを知つていたことが認められ、右認定を左右できる証拠はない。以上認定の事実によると、本件払戻請求書の住所表示中、印鑑票の記載とは違つて「深草」と「うずら荘内」との付加されている点は、預金者たる控訴人の住所表示として印鑑票記載のものよりもむしろ一層正確、ていねいになされたものと評価されるのであつて、これを対照してみた同支店係員荒木としては、同払戻請求書記載の住所と印鑑票記載の住所とはいずれも同じ住所地を表示したものと考えるのが当然である。また、右払戻請求書の住所表示では、「下横繩町」の「下」の一字が脱落してはいたが、自己の住所地であつても、その記入に際してこの程度の書き落しをすることは必ずしも稀なことではないと考えられるうえ、右荒木としては、うずら荘居住者の住所表示の不正確な事情をよく知つていただけに、なおさら、この一字の脱落を単純な脱字であるとして重視しなかつたものと推認される。のみならず、印鑑票の住所表示に比して払戻請求書のそれの方が右のとおり一面においては一層正確、ていねいなものとなつており、通常預金者と関係のない無権利者が容易にそこまでくわしく預金者の住所表示をなしうるものとも思われないところから、右荒木がかかる「下」の一字だけの脱落をもつて、印鑑票の住所表示と全く一致しない表示であるとして、その記入者と預金者との同一性までも疑うほどに重大な誤りであるとは考えなかつたとしても無理からぬことであつて、同人に事務取扱上の不注意があつたということはできないから、右の程度の住所表記の不一致を目して、預金者と払戻請求者の同一性について特に疑念を抱かせる不審事由があるとすることはできない。

以上の次第で、本件においては、控訴人主張のように払戻請求者が預金債権者ではないことを疑わしめる特段の不審事由があつたものとは認められないから、被控訴銀行稲荷支店の係員が前認定のとおり定期預金の中途解約、払戻に際し通常要求される調査、確認の手段を尽した以上、同係員において右払戻請求者が本件定期預金債権者であると信じたことについて過失はなかつたものといわなければならない。

四控訴人は、債権の準占有者に対する弁済に該当するのは、現実に支払われた一、〇〇〇、〇〇〇円に限られ、しかも右一、〇〇〇、〇〇〇円は、元本一、五七七、八四九円に対する昭和四九年四月八日から同年一二月一七日までの定期預金利率年7.25パーセントの割合による利息七九、六〇五円と元本九二〇、三九五円の弁済に充当されるから、残金六五七、四五四円が依然定期預金の元本として残されている旨主張する。

本件定期預金契約においては、控訴人、被控訴人間に、期限前解約の場合には日本銀行ガイドラインによつて定められた中途解約利率によつて利息が支払われることが合意されており、右利率は預入期間が六か月以上一年末満の場合(本件の場合はこれに当る。)年5.25パーセントであることは当事者間に争いがなく、〈証拠〉を総合すると、被控訴銀行は、定期預金の一部解約、払戻の制度をとつておらず、預金者が定期預金の一部の支払だけを求める場合でも、一旦全額について払戻の手続をしたうえ、必要金額を現実に交付し、残額はあらためて別途預金契約をして預入を受ける取扱をしており、その発行する定期預金通帳の裏面には定期預金規定として、定期預金の払戻は預け金一口毎とし、その一部払戻はしない旨の文言が記載されていて、控訴人は、右約定に合意のうえ本件定期預金契約をしたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

ところで、定期預金の期限前払戻の場合においては、その弁済の具体的内容が当初の定期預金契約における契約当事者間の合意によつて確定されているときは、右合意に基づいてなされた払戻について民法四七八条の適用があると解すべきである。

これを本件についてみると、前記認定の本件定期預金契約における契約当事者間の合意内容によれば、本件定期預金の払戻請求者が昭和四九年一二月一七日に被控訴銀行に対して右定期預金の期限前払戻として支払を請求しうるのは、元金一、五七七、八四九円とこれに対する預入日たる同年四月八日から払戻日の前日たる同年一二月一六日まで(〈証拠〉によれば、利息算定についての期間の計算は預入日から払戻日の前日までとすることは銀行取引上の商慣習であると認められる。)中途解約利率年5.25パーセントの割合による利息であるところ、被控訴銀行は、右合意内容に従つた弁済として元本一、五七七、八四九円と右利息五七、四一六円、合計一、六三五、二六五円全額について払戻を行つたものであることは前記三1で認定した事実および弁論の全趣旨によつて明らかである。

したがつて、被控訴銀行がなした右払戻については民法四七八条の適用があるというべきであつて、本件定期預金の期限前払戻につき利息を定期預金利率年7.25パーセントによつて算定すべきであるという控訴人の主張は採用し難い。

また、被控訴銀行稲荷支店では、本件払戻請求者に対し、右払戻金額一、六三五、二六五円のうち一、〇〇〇、〇〇〇円だけを現実に交付して持ち帰らせ、残額六三五、二六五円については、右払戻請求者との間で、あらためて預金者を控訴人とする普通定期預金契約をしてその預入を受ける手続をし、現実には右残額について金銭の授受がなされなかつたことは前記二および三1のとおりである。しかし、右金銭の授受がなかつたのは、同支店から払戻請求者への本件定期預金の払戻と、右払戻請求者から同支店へのあらたな預入行為が同一機会に接着して行われたため、その間の二度にわたる金銭の授受が省略された結果にすぎないのであるから、本件定期預金契約において定められた合意に従つて定期預金元利金全額について期限前払戻の手続がなされた以上、右払戻金額全額につき民法四七八条の適用があると解するのが相当であつて、たまたま、銀行が右払戻請求者との間であらたな預金契約を締結して右払戻金額の一部の預入を受けたからといつて、その金額については同法所定の弁済がなかつたと解すべきではない。なんとなれば、銀行は、多数の顧客との間に無数の預金契約関係を成立させるだけでなく、同一人との間においても預金の種類、金額、契約日などを異にする多くの預金契約関係をもち、それぞれ預入手続、払戻手続、利息計算等載然と区別した取扱いをしているのであつて、かかる大量かつ定型的な取引を反覆する銀行業務の特殊性にかんがみると、定期預金の払戻金の一部について現金の授受がなく、払戻請求者がこれを持ち帰らなかつたからといつて、右金額について民法四七八条の弁済がなかつたものと取り扱うことは、銀行業務に著しい混乱を生じさせることとなつて妥当ではないからである。例えば、払戻請求者が払戻金額の一部を同一銀行支店内における別の預金者への支払に充てるべくその預金口座に振り込んだり、第三者名義であらたな預金契約をして預け入れたりした場合を考えてみれば、銀行が払戻請求者に対して払戻金額の一部を現実に交付してこれを持ち帰らせない限り、民法四七八条所定の弁済に当らないと解することが不当な結果をもたらすことは明らかであり、この理は、本件の如く払戻請求者が払戻金額の一部を預金者本人名義の別の預金として預け入れる場合でも異るところはないというべきである。

五控訴人は、被控訴人は本件定期預金元利金のうち現実に払戻請求者に交付しなかつた金額については、信義則上、民法四七八条の免責の効果を援用できない旨主張する。

しかし、被控訴銀行が本件払戻請求者に対して現実に交付しなかつた六三五、二六五円についても民法四七八条の弁済としての効力が生ずると解しても、控訴人は、被控訴銀行に対し、あらたな定期預金契約は払戻請求者の無権代理行為によるものであるからこれを追認するなどしてその払戻を請求することも可能であつて(被控訴人は、その請求に応じて右金額については支払に応ずる態度を明らかにしている。)、終局的に右金額の支払を受けられないわけではないから、被控訴人が右金額について債権の準占有者に対する弁済としての効力を主張することが信義則上許されないということはできない。

六以上の次第で、被控訴人が本件払戻請求者になした本件定期預金元利金全額の期限前払戻は、債権の準占有者に対する弁済としての効力を生じ、本件定期預金債権は、右弁済によつて消滅に帰したものというほかはない。〈以下、省略〉

(唐松寛 山本矩夫 平手勇治)

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